横尾担だったこと。

 

 

私は、2012年の終わり頃から2016年9月までKis-My-Ft2横尾渉のファンでした。

  


この時期にこんなもの書くとビッグウェーブに乗ったかと思われそうだが、別に間違ってもないので記す。私は横尾担だった。横尾くんのことが大好きで、とても大事だった。今でも本当に本当に幸せになってほしい人。でも、私はもう横尾担ではなくなってしまった。

担当ではなくなる時、ジャニヲタには2つパターンがある。担降りと、ヲタ卒。私の場合は担降りだった。

 

 

担降りにはいろんなバックグラウンドがある。だからこそ人は担降りについて記すし、興味を持つ。私もそのなかのひとりで、私にとってもイレギュラーな出来事であった担降りを書こうと思ったのは、なんだかんだで私が横尾くんを大事にしているからにほかならない。
ぶっちゃけ、自分が担降りするなんて思ってなかった。本当の本当に心の底から、横尾くんより自担と呼びたい人ができるなんて思ってなかった。横尾の切れ目がジャニーズの切れ目だと本気で思っていたし、口にしていた。誰だってその人のファンであるとき、そう思っているものなのだろうが、それでも、やっぱり私も、降りる、なんてまるっきり考えたことがなかった。でも、いろんな事があって、いろんなことを体験して、担降りは身に降りかかって来た。
私の担降りは、私がイメージしていたものとは少し違った。私、自分が担降りする時って、もっと応援したい人が出来たから降りちゃうか、元担を嫌いになったから降りるのか。なんか、その2つのどちらかだと思っていたのだ。きっと、このどっちかだとおもっていた。それで、私はどうだったのかというと、半分半分くらい。私は、なんというか、綺麗に半分だった。ちょっと拍子抜けした。

端的に言うと、今の私には横尾くんと向き合う気力も、向き合える自信もない。だから降りた。担降りしたから向き合えなくなったのではなく、向き合えなくなったから私は降りた。ただ、同じ時期に、横尾くんと同じくらい好きだなあ、応援したいなあ、と思う人が出来たのも事実だった。最初は、掛け持ちになった。その時の私はまだ横尾くんと向き合う気でいたからである。向き合える気力もあった。結局、無理だったけど。

担降りを遠くに感じていた私の前にその言葉がやってきたのは、2016年のはじめの頃だった。正式にいうと、担降りする予定はなかったけど、横尾くんとの距離が変わったのがそこら辺。この記事は私の担降りを綴ると共に、4年分の横尾くんに対する思いを綴る場所でもある。横尾担だったこと、覚えていること、余すことなく書いていきたい。

 

 

 

私は横尾担になってからずっと色んなことに文句を言ってきた。それこそ、私が好きになった時のKis-My-Ft2に舞祭組はなかったし、格差もしっかり存在した。その上、横尾くんも今みたいに自分をさらけ出した出で立ちではなかった。音痴なのも隠してたし、とっつきづらいのもわかりやすかった。ダンスは下手だよなあと思っていた。芝居は滑舌を見れば大体わかる。トーク、喋らない。映らない。歌割り、なし。さて、どうしたもんかなあと思った。それに、まさか、そんなに歌が下手だとは予想だにしていなかった。私が横尾くんを好きになった経緯は違う記事に書いたが、いざ走り出した横尾担としての道のりは正直にいうと楽しいものではなかった。
格差について不満に思ってた。反面、どうしてこの人はあんまり前に出てこないんだろうとも思ってた。ぶっちゃけ、個人で飛べなくてもグループに仕事はそれなりにくるから、この人はそこでいいのかもしれないなって思ってた。でも、横尾くんが1万字で頑張りますって言った。ちょっと寝耳に水だったけど、私は横尾くんが頑張るなら私も頑張ろうと思った。

 

私にとって1万字インタビューは、なんというか、私のなかの横尾くんの最たる、だった、かもしれない。1万字を読んで、私は本格的に横尾くんと一緒に歩くことを決めたのだ。

 

頑張りますって言ったものの、横尾くんには何もなかった。何を頑張るんだろうと思いながら見てた。
1万字が2013年3月。そこから舞祭組が出来るまで、私の記憶がただしければ目立った動きはなかったような、気が、する。今調べてみるとそれこそ1万字の時期に銀英やってた。銀英。
銀英もね、私は、痛かったよ。ずっと。心が痛くて仕方なかったよ横尾くん。
銀河英雄伝説に横尾くんが出てたってことは私にとってすごく思い出したくないことだったりする。あの時期のことは、アレに関することは、私にとって、本当に思い出したくない、こと。私はフリーターも見てない。まだ原作読んだあとドラマだなって思ってたから先に原作を読んだ。そしたら、原作には居ないキャラクターだった。その意味を測ったから、私はフリーターを見てない。前述したように、私は本当にこの4年間文句ばっかり言って来たから。フリーターみたら、きっと、なんで出来ないの!って、文句言うなって思ってやめた。

あと銀英やってる時にペット介護士の資格の勉強し始めたのも割と気に食わない案件だったんだけど。もっとやることあったよね?ちゃんとしたソースがないから今まで何も言わなかったけど、まさか、本番中とか稽古中とかにしてないよね。って、信じられなくなって来てるけど。

 

横尾くんという人について、私は私なりにずっと解釈を重ねて来て、その上で応援をして来た。横尾くんはこれまでの推しの中で、ダントツで何も出来ない人だった。今まで私が好きになって来た人はそこそこあれこれ出来たし歌が上手いとかダンスが上手いとかキャラが立ってるとかそういうの、あったけど、横尾くんって本当に何もなかった。ただ、でも、顔が誰よりも好きだった。だから4年も飽きることなく、好きでいられた。
それに、なんだかんだいって本格的にオタクとして生活したのは横尾くんが初めてだった。全部が全部新鮮で、横尾くんを好きでいるってだけで毎日生き甲斐があって楽しかった。ただ、ただ。出来ないことがわかっているのに何もしない横尾くんは、私にとってはいつも理解出来ない、だった。
横尾くんはどうして、あんなに顔がかっこいいのに、外見には無頓着なんだろう。勿体無いなってずっと思ってた。キスワの名古屋でオールバックにしてきた横尾くんに怒ったのも懐かしい思い出。横尾くんはよく前髪あげるけど、私はずっと前髪上げる日と前髪がある日の割合を反対にしてほしいって思っていた。オールバックも顔が綺麗だからかっこいいんだけどね、前髪のある顔ももう少し見たかった。
私は横尾くんの顔が好きだから、もっとちゃんと髪の毛手入れして整えて、それで、与えられた洋服だったとしても何か自分で差し込んで、そうして、オタクの前にアイドルですよって出てきて欲しい。そうやってずうーっと思っていた。もっと色んなことやってみたらいいのに。折角顔がかっこいいのに、髪型も、うつり方も立ち方も、振る舞い方も、もっともっとやれることがあるのにってずっと思ってた。歌やダンスもそう。芝居だって、もっと、やりたいなら、出来ることはあるだろうよと。

横尾くんが頑張ってないとは言わない。誰しも、生きているフィールドで少なからず頑張っているところはあるだろうし、人の目に付く職業であることくらいはわかっているはずだから。でも、それでも、ファンが一生懸命アイドルだよって言っても、横尾くんはいつもアイドルの土俵に乗るつもりはなかった。ように私はずっと感じていた。
見ている人にとってはどこだってセンター?なってから言えばって思ったし、センターに立つ自担が見たいファンの気持ちは迷惑なのだろうかと悩んだ。横尾くんはお兄ちゃんに騙されてアイドルになったね。ジャニーさんにも、ほんとうに欲しかったのはお兄ちゃんだったんだよって言われたね。今でもお兄ちゃんの代わりだからって、思っていないかな。それを横尾くんは時に、盾にしたりナイフにしたりするよね。横尾くんが、ほんとうに自分からアイドルでありたいって思ったことって、あるのかなって私は思う。
横尾くんがいなくなってしまったら、ファンが悲しむから。とか、一緒に仕事をしている人に迷惑だから、とか、社会人だから、とか、常識だから、とか、メンバーが、とかではなく、アイドルでありたいから、仕事を続けているって、思ったこと、あるのかな。あったらごめんね。私には一回も伝わってこなかった。
そういう横尾くんにお金を払いながら、ファンを続けていると、横尾くんにお金を払い続けることは横尾くんにアイドルをやらせてしまうってことで、それは横尾くんの幸せにはならないんじゃないかといつも思っていた。私は横尾くんを見ていたいからお金を払うしファンだというけど、横尾くんが幸せになりたいんだったら、横尾くんの幸せがジャニーズにはないのだったら。辞めたほうが幸せだよね、とはずっと言ってた。この4年間言い続けた。降りるまで言った。降りた今でも、辞めたらいいのに、と思っている。

 

そんないろいろなことを思いながらも、私は横尾くんにアイドルであってほしかった。アイドルとして、生きて欲しかった。それで、幸せになって欲しかった。でも、横尾くんはいつも、それはエゴだよって教えてきた。辛かった。アイドルを応援しているはずなのに、アイドルとして生きてということがエゴだと本人に突きつけられるのはなかなかに苦痛だった。アイドルで幸せになって欲しいなんて確かにファンのエゴだろうけど、でも、だって、自分で選んだフィールドでしょう?
当たり前の話だけど、横尾くんにとってアイドルは仕事でしかなかった。サラリーマンみたいな。だから私は辛かった、のかもしれない。それに、横尾くんのありがとうございます、も、一度も信じられなかった、のかもしれない。思い返しても、私が横尾くんの言葉を信じたことはなかった。って、降りた今思った。

 

 

横尾くんのファンのみなさんのおかげで、を聞くのが一番嫌いだった。思ってないくせにって思っていた。
横尾くんが思うファンに対する感謝が全部薄っぺらくて嫌いだった。それならお金って言って欲しかった。
横尾くんの、自分がアイドルであることに対するプライドのなさが嫌いだった。
仕事人として、人としてのプライドだけはエベレスト級なところがまた、嫌いだった。
そうしてまた、自分を誰かの代わりだと思っているようなところも、ニアリーイコール謙虚なところも、嫌いだった。

 

 

私は横尾くんに対して嫌いなところがたくさんあったけど、好きなところもあった。ファンだったわけだし。そんな、そんな、好きな人を簡単に卑下する横尾くんが、なによりも嫌いだったね。それに価値を持たないところがすごく嫌で、いつも悲しくて悔しかった。

嫌いなところがたくさんあったついでに、私が未だに許せないことも書いておこう。雑誌でうちわ見ますかって質問に、横尾くんはみませんってグループで1人だけ答えていた。まあ、堂本光一さんも見ないとかいうときもあるし、見ないことに関しては個々の自由の範疇だと思う。でも、横尾くん、ファンが少ないから見ないって言ってた。ファンが少ないのは、ファンのせいなのかな。横尾くんのファンが少ないことなんてずっと知ってた。ジュニア長くて、デビューして1年ちょっと。そこでファンになった私が一番言われた言葉、横尾担初めてみた!だったのだから。それでも、それでも、ファンがすくないって思ってへこんでほしくないな、とか。私がいっぱい居たら、もっと横尾くんのうちわ増やすのに。私がお金もってたら、もっと横尾くんのグッズ買うのに。でも、私は一人しかいなくて、私のできる範囲でしか応援することが出来なくて、だから、せめてうちわもって、ファンがいないことはないってことは思って欲しいな、とか。思ってた私馬鹿かな。

歌が歌えないのもダンスができないのも芝居ができないのも別にプロ意識の欠如だと思わなかったよ。でも、それを言えちゃうって、ちょっと、プロ意識に欠けるんじゃないかな。いつも責任を誰かに渡す横尾くん。それを見逃すまわり。横尾担が嫌いだったなー。今でも嫌いだなー。
そんなの、過去の発言だって言われるかもしれないけど、それから私はコンサートで横尾くんがうちわを見ないたび、ああ、見てないもんな、って思ったし、見ないんだもんねって思った。どれだけ手を振ってても、ああ、見てない。見てない。見ない。だって自分で言ったんじゃん。ずーっとおもった。

 

そういうとこ、頭悪くて嫌いだったよ。

 

横尾くんがどれだけ自分に納得がいなかったとしても、出来ていないことを気にしていないにしても、端でいいと思っていても。横尾くんが馬鹿にされたら、横尾くんが出来ないって思われたら、かっこよくないって思われたら。発言しなかったら映らなかったら。自分のこと以上に悲しくて悔しいと思う人がいることを横尾くんは分かっているのかなあ。まぁ、ファンの愛ってわからないよね。お金でしかないんだけど、それだけじゃないんだよ。でもうちわ見ないんだもんね。知らないか。

  

なんだか嫌いなところばかり書いたので好きだったところも書いておこう。

横尾くんの好きなところはまず顔。何より顔。顔がめちゃくちゃ好きだ。自担のお顔もそれなりに好きだけど、顔の話で言うと横尾くんの顔の方が好きなくらいには好きで、横尾くん以上に好きな顔がこの先現れるのかと思うくらいで。

パーツもそれぞれ好きだけど、まぁそのなかでいうと目が好きだけど、何より配置が好きで、まじまじとみてもいつもかっこいいなあという感想しか出ない。しつこいようだが降りた今でも顔はかっこいいと感嘆する。

 

ほんとに!!!!!横尾くんの!!!!!!顔が好きで!!!!!!!!!!

 

顔が好きで顔が好きで顔が好きで。あんなに見てて飽きない顔があるのかってくらい、ビジュアルが良い時の(重要)横尾くんはガン見しても全然飽きない!!!すごい!!!すごいことだと思うんですよ。3日で飽きると言われる美人。横尾渉は飽きない!!!ハァッ!!!!!最高でした。

どれだけ歌が下手でもダンスが下手でも喋りが下手でも何もできなくても横尾くんには顔があった。ビジュアルが。でもそれをいつもちゃんと整えてこないから!!!!!!!!!!キレてたけど!!!!!!!!!!

舞祭組は私は横尾くんから大事なものを奪ったと思っている。横尾くんからビジュアルで売る手段を取ったらあの人は何でアイドルとして生きていくんだ?と当時は本気で思ったもんだった。今でも思っている。横尾くんはかっこいいのに。

 

 

散々文句を言ったけどなんだかんだで不器用なところも好きだった。類を見ないアイドル形態すぎて何をやってもパイオニアになるところも好きだったよ。落ち込んでばかりだったけど、たまにすごく喜ぶことくれるところも好きだった。Kiss魂でセンターに立ったの、嬉しかった。音楽の日を見て、横尾くんがよく笑うようになったなって気付いた時は泣いた。

私は横尾くんのことをお母さんだと思ったことがない。確かに掃除や細かいところが気になる人だとは思ったが、どちらかというと神経質に見えた。私がお母さんだというとお節介ちゃきちゃきかーちゃんを想像するからなのかもしれないが、とても、世話焼きには思えなかった。常識や礼儀もちゃんと出来ていると感じたことはない。そういう人は選んだ道を人のせいにしない。しっかりしているとも思ってない。横尾くんの今いる場所の成り立ちを考えれば考えるほど年の離れた三男でしかなかった。ただ、だからこそ人に可愛がられるのは上手であったと思うし、そういうところも好きではあった。

横尾くんが、いつか、誰かの代わりではなく、そして、今いる場所を本当に自分の場所だと思って、納得してちゃんとアイドルをずっと続けたいって、そう向けるくらいに、なってくれるといいなとずっと思っていた。

 

私が担降りした大きな理由は、横尾くんをアイドルだと思うことに無理が生じて来たから。

 

舞祭組ができて、犬とか料理の仕事が増えていく横尾くんを見て、そっちの方がしっくりくるんだろうとは感じてた。今更キャーキャー言われる方に振り切るのがしんどいのもわかっていた。性格も性格だし。本人が楽しいなら楽しい仕事をして欲しかったのは本当。でも、やっぱりもう少しアイドルでいて欲しいと思っていた私もいた。だから、新春で横尾くんがアイドルになるって言った時は本当に嬉しかった。そのあと割とすぐにうちわ見てませんって言われたけど、横尾くんがアイドルになるんだったら応援したかった。

その時から、横尾さんが歌が上手くなってるのがなんとも、っていう旨の発言を聞くようになった。私はずっと歌が歌えて何が悪いんだと思っていた。そういうパブリックイメージが横尾くんについてゆくのが嫌だった。でも、でも横尾くんがアイドルになるって言ったから、それを信じて2年間耐えた。

待てど暮らせど、横尾くんはどんどんアイドルではなくなっていく。日に日に、個人仕事でバラエティに出ても喜べなくなっていった。わんだらんどを見るのが苦しくなった。雑誌で料理を極めたいって言う言葉に嫌悪感が沸くようになった。もっとすることあるじゃん、て思う私がいた。わんだらんどに関しては、私が動物全般に苦手意識があることも大きかったけど。横尾担になって間違いなく犬嫌いが加速した。なのに横尾くんはファン会するなら犬会とか言っていた。世知辛いの極みである。

横尾くんが描くこれからは、私が描くこれからとはとことん違っていた。横尾くんはジャニーズだよ?でも横尾くんがなりたいものは、私から見ると“タレント”だった。

しばらくして、わんだらんどを見続ける、見ないと、って思うことがしんどくなって横尾くんのやりたいことを応援するのがしんどくなって、それで私は見たいものだけ見ていようと決心した。それが16年の3月。そうすると、驚くくらい気持ちが楽になった。全部を見て吟味してあれこれってしなくて済むようになったから、横尾くんに怒ることも少なくなって、楽しく過ごすことが出来た。これから新しい自担に出会うまでの数ヶ月が横尾担生活の中で1番楽しかったかもしれない。

今の自担を好きになった時も、横尾くんのファンを辞めるつもりはなかった。嫌いではなかったからだ。だから掛け持ちを選択して、どちらとも良いとこどりで楽しもうって思えていた。はずだったのに。疲れたと思って頑張るのをやめると、糸が切れるのって早くて、横尾くんが頑張ることを見ない日が増えた。なんでだろうって思うこともなんだか流せるようになってしまった。言ってしまえば、多分、どうでもよくなってきたのだ。

そんな時、横尾くんがテレビで元カノの話をした。テレビで。アイドルとして生きている舞台上で。こともあろうに、元カノの話をしたのだ。その時、私が信じてきた、アイドルになるって言葉が私の中から消えた。あ、あの言葉はもう効力を持たないって思った。横尾くんはずっとアイドルになる気なんてなかったんだ、とそこで感じた。

それからは早かった。なんでこうなってしまったんだろうなとワンワン泣いてヤケ酒して眠った後にはもう降りる選択肢しかなかった。横尾くんを、もう、推すことはないなと思う自分がいた。嫌いにはなれないし、好きだったことも本当。楽しいことも経験させてもらった。嬉しいことだってたくさんあった。でも、私はもう横尾くんについていけなかった。キャーキャーいわれてかっこつけている、アイドル、じゃなくて、茶の間人気が高くて清楚な青少年、ジャニーズを鼻にかけないのに蓋を開いてみれば歌えたし踊れたよね、とかいわれるパブリックイメージ?そういうタレント?なりたがってたよね。なんなら結婚してもファンが減らない(比較的)ポジション。私はそう感じた。そして、そんな横尾くんにお金を払おうとは思わなかった。私が見たいのはまだ、アイドルだったから。だから、降りた。

横尾くんがもし、ジャニーズのアイドルではなくて料理上手の犬好きタレントだったら、私はお金を払ってないし4年間もファンをやらない。つまりはそういうことだ。

余談だが、その時でも今の自担を自担にする気はしなくて、私は一瞬だけ担当不在になった。やっぱり4年間自担と呼んだ横尾渉に並ぶにはまだ何か、足りないとは感じていた。ただ、どちらをより応援したいかと言うと今の自担だった。そうこうしているうちになんだか自担にするのもしっくりくるようになって、自担という存在がまた私の中に生まれた。これが、私の担降りのすべてである。

 

1万字の頑張るで2年間持って、新春のアイドルになる、で2年間持ったから、アイドルの発言の有効期限は2年なのかもしれない。というのがどうでもいい発見。そして、私が信じた横尾くんの発言は、この2つだけだった。

 

横尾担だった4年間、辛いこともまぁたくさんあったけど楽しいこともそれなりにあった。初めてジャニオタになって、友達もたくさん出来た。初めてコンサートに行った時の感想はつまんなかった、だったんだけど次の約束魂がゴリゴリに楽しくて、それからコンサートの楽しさを知った。いっぱい泣いたし、いっぱい笑った。土下座する横尾くんは見たくなかったし、キンプリを私は一生許さないだろう。中学生の横尾くんに本当は兄貴が欲しかったと言ったじじいも許さない。2015年可哀想大賞取ったのも今となってはいい思い出。私は舞祭組を恨んでいるけど、何度、舞祭組出の横尾担だったらもっと幸せだったんじゃないかと考えたことだろうか。あいすくりーむで横尾くんの背中にバーカって叫んだのも懐かしいね。どこってうちわ見せてごめんね。まぁきっと、横尾くんの視界に入ったことはないんだけど。最後まで、ファンレターは書けませんでした。だからこれが、その代わり、にしては殺伐としているかな。

横尾くんのこと大好きだった。なんか、本当に文句しか言わなかったから、この人なんで横尾担なんだろうとかずっと思われてたと思う。絡みのあった同担とも良好な仲じゃなかったし、他担の友達からも厳しいよねってずっと言われてた。でも、それでも、私が横尾くんを大好きだったのは本当。だし、この4年間はやっぱりなかったものには出来ない。

私は今でも、横尾くんが何かを諦めることがこの先なければいいなって思っている。それはオタクやってる時から変わらないこと。でも、まぁ今回の騒動を含めて考えてみると、横尾くんの幸せはジャニーズにはない、気がする。だからと言って本人がどうするかは本人の自由だし私が何かいうことはもうないけど。幸せになってください。貴方が納得した場所で。 

降りてからこれを書き上げるまでの間にこんなに嫌いになれるもんかなってくらい、やってられないと感じさせられたけどそれでも、一度は好きでいたアイドルだから横尾くんが自分で選んだ未来がちゃんと来てくれたらいいなと思うよ。

 

 

 

4年間ありがとう。私の全てだった。大好きでした。

 

 

 

カノバレしてんじゃねーよばーか。